第15回「土橋塾/新しい哲学のすすめ」、開催のお知らせ!

おかげさまで定員に達しました。参加をご希望の場合、下記までキャンセル待ちのご連絡をしていただくか、次回(2017年11月30日を予定)のお申込をご検討ください!

 

大きな変化の波のなかにあるこの時代、これから何を意識し、どう生きていけばいいのか? ハンカチーフ・ブックス『じぶん哲学』の著者でもある医師・土橋重隆先生による、これまでの価値観・発想を見直し、「考える力」を根本から磨いていく新しい「学びの場」に参加してみませんか?

 

第15回を迎えた今回から、原点回帰の意味も込めて「新しい哲学のすすめ」というフレーズを名称に加えました。

哲学といっても、頭の中で難解なことを思い巡らせるものではなく、それは、自分自身の生きる力を磨くための物の見方。

目の前の現象を自分自身で解釈し、腑に落ちる答えを見つけ、体験を通じて自由になっていく、自らを解放させていく……そんな「生きる知恵」と呼べるものです。

 

医師という肩書きだけでは収まりきらない土橋先生の発する示唆に富んだメッセージを、参加者の皆さんとシェアし、意識次元のイノベーションを起こしていきましょう。セミナーや著書を通じて土橋先生のお話に接してきた方はもちろん、自分の生き方・考え方を見直し、もっと自由な発想、生き方を身につけていきたいと思っている方の参加も大歓迎。

席が限られていますので、ご興味を持った方は早めのお申し込みをお願いします。

 

 

第15回「土橋塾/新しい哲学のすすめ」概要

日時 2017年9月28日(木)18:00〜21:00
*2ヶ月に1回開催
場所 都内を予定(申し込みされた方に詳細をご案内します)
話し手 土橋重隆(医師)
聞き手

長沼敬憲(「ハンカチーフ・ブックス」編集長)

定員 20名
参加費 4000円(お茶代を含む。参加費は、当日、現金にてお支払いください)

 

|お申し込み

メール(contact@thunder-r.net)にて、

①お名前(ふりがな)

②メールアドレス

③当セミナーを何で知ったか(初回の方のみ)

件名に「9/28土橋塾申し込み」とご記入のうえお申し込みください。
折り返し返信をいたします。

*メールをいただいてから2日以内に返信いたします。
*返信メールが「迷惑メール」に振り分けられるケースもあるようです。
もし連絡のない場合、迷惑メールのフォルダのご確認もお願いします。

 

|主催
株式会社サンダーアールラボ

 

 

 

土橋重隆 Shigetaka Tsuchihashi

外科医、医学博士。1952年、和歌山県生まれ。78年、和歌山県立医科大学卒業。81年、西日本で最初の食道静脈瘤内視鏡的栓塞療法を手がけ、その後、2000例以上の食道静脈瘤症例に内視鏡的治療を施行。91年、和歌山県で最初の腹腔鏡下胆嚢摘出手術を施行、8年間に750例以上の腹腔鏡下手術を行う。

帯津三敬病院にて終末期医療を経験、三多摩医療生協・国分寺診療所での外来診療を経て、自由診療クリニックを開業。著書に『ガンをつくる心 治す心』(主婦と生活社)『50歳を超えてガンにならない生き方』(講談社+α新書)、『死と闘わない生き方』(ディスカヴァートウェンティワン/玄侑宗久氏との対談)、『じぶん哲学』(ハンカチーフ・ブックス/幕内秀夫氏との対談)などがある。http://tuchihashi-world.jimdo.com

長沼敬憲 Takanori Naganuma

1969年、山梨県生まれ。サイエンスライター&エディター、出版プロデューサー。リトル・サンクチュアリ代表。「ハンカチーフ・ブックス」編集長。30代より医療・健康・食・生命科学の分野の取材を開始、書籍の企画・編集・プロデュースに取り組む。著書に『腸脳力』『この「食べ方」で腸はみるみる元気になる!』。エディターとして、累計30万部に及ぶ「骨ストレッチ」シリーズ(『ゆるめる力 骨ストレッチ』『「筋肉」より「骨」を使え!』)の出版プロデュースを手がけるほか、『腸を鍛える』(光岡知足)、『Q&Aでよくわかるアレルギーのしくみ』(斎藤博久)、『栗本慎一郎の全世界史』(栗本慎一郎)、『医者が教える長寿のコツ』(佐古田三郎)、『死と闘わない生き方』(土橋重隆・玄侑宗久)など、身体・生命に関わる様々な書籍の企画編集に携わる。http://little-sanctuary.net

 

 

 

★土橋先生の発想・考え方について知りたい方、下記の一文をご覧ください。

 

「哲学的思考」について

 

人にはそれぞれの思考パターンがあります。長年の習慣でもあるので、あまり自覚されていませんが、私はそれを、①科学的思考、②宗教的思考、③哲学的思考の3つのパターンに分けて考えるようにしています。

 

一人ひとりのなかにこの3つのパターンが混じり合っているわけですが、現代の日本人の多くは、①の科学的思考の割合が大きいでしょう。

 

それは目の前に起きた事実から物事を考え、解釈しようとするものです。

 

とりわけ西洋医学は、こうした科学的思考で成り立っています。実際、医者は肉体に起きた変化を「数値」と「画像」という事実に表して診断、治療を行っていますし、患者さんの多くもそれを受け入れているでしょう。

 

これに対し、②の宗教的思考は目には見えない「神仏」や「奇蹟」を絶対的前提としています。この場合、数値や画像は必要とならず、目の前に起きた事実は前提にはなりません。

 

「無宗教」の日本人にはピンと来ないかもしれませんが、世界を見渡せば、こうした思考を拠り所にしている人もかなりの数に上るはずです。

 

③の哲学的思考は、これらの前提そのものを置かず、つねに「なぜか?」を問い続け、起きた現象の「意味と関係」を追求していくものです。

 

事実を前提に生きてきた人にとっては、科学的思考の西洋医学が当たり前であり、いちばん理解しやすいのかもしれませんが、そこに不完全さを感じ、飽き足らなくなった人のなかに「意味と関係」について考える人が出てきます。

 

目に見えるもの(科学的思考)から目に見えないもの(宗教的思考)に価値観を変えるのではなく、まずは前提を取り払い、自分の納得ができる答えを見つけていく、それが哲学的思考にほかなりません。

 

外科医として、目の前の事実だけを受け止めてきた私が、こうした「意味と関係」に興味を持ってから、気がつけば十数年が経過しました。

 

一般的には、病気は悪いもの、排除されるべきだと考えられ、医者に行くとそうした前提で話が進んでいきます。

 

患者さんの多くもそう思っているかもしれませんが、哲学的思考をする私の中では「何事も長所半分、短所半分」が原則。したがって、ガンにも意味と価値があり、やはり長所半分、短所半分と言えるものなのです。

 

事実、西洋医学の常識では治らないとされる末期のガンでも、なぜか治癒してしまうケースが少なからずあります。

このような症例はなぜ起きたのか? 治る人と治らない人では何が違うのか? そもそも、なぜ病気になるのか? こうした疑問を探ることが、いまの私にとってライフワークにほかなりません。

 

いま切実に求められているのは、技術の進歩を追い求めた従来とはまた次元のちがう、意識の変化をうながすようなイノベーション(革新)です。

 

医学部を卒業してから、「普通は嫌だ」という思いに突き動かされるようにして最新医療に関わってきましたが、外科の第一線から離れたいまもなお、どの医者も踏み込んでいない未知の分野にいることを感じます。

 

たとえば、西洋医療を批判する人のなかには、代替医療、統合医療に切り替えることをすすめる人もいますが、方法論を変えるだけで、本当に問題は解決できるでしょうか?

 

それよりもいったん前提を取り外し、ゼロにして、私たちが生きている現実を見ていくことを始めていきましょう。それは、「どちらが正しいか」という二元論を超えた、新しい次元の物の見方であり、それこそが私が言う「哲学的思考」と言えます。

 

こうした「生きる哲学」は、意識そのものの変化をうながし、あなた自身を新しい生き方へ誘ってくれます。意識の変化が心を変え、体を変え、ときには病気を癒す力になるのです。

 

 

すべてマジック

 

この国とかお金のシステムなどいろんな社会のシステムを含めて、「すべてマジック」なんじゃないかと、そんなふうに私は思っています。

 

マジックというふうに考えると分かりやすいことがいっぱいあるんですね。ところがマジックだと分からない人がほとんどで、その人たちがマジックをかけてる人の言うとおりに動いている、そんな感じがしますね。

 

医療においてはそれもはっきりしていて、検診もそうですし、診断・治療というのも、枠組みを決めて、やり方を決めて平均化して、その患者さんに特別なことをするのではなく、みんな一律に同じことをする、……これをマジックというふうに考えると非常によく分かるんですよね。

 

マジックという以上、そこにはタネがあるわけです。タネ明かしをしてしまうと「なんだそういうものだったのか」と分かっちゃうんですけども、そうした「タネ明かし」について知っている人はほとんどいない。医者もマジックのなかで仕事をしていますから、もちろん医者も分からないわけです。

 

少し視点を変えてみると、全部タネが分かっちゃうと「なんだこんなことか」となりますから、いま受けている治療についても「こんなことで治るわけがない」ということがわかってしまう。で、ちょっと逆説的な言い方になりますが、このマジックから解放された人が治っていっていると私は思っているんです。

 

たとえば、不思議な経過でガンが治っていく人がたくさんいます。そのなかには自分でガンだと“診断”して、自分で“治療”して「治った」と言っている人もいるようですけども、そうじゃなくて、本当に医学的にガンだと診断されて、それがもうダメだと言われている人が、医学的には理解できないような形で治癒してしまう、自然退縮とかも含めて、そうしたことも現実に起こっているわけです。

 

こういう方は、おそらく医療がマジックだという意識はないかもしれませんが、自然にタネ明かしみたいなことを自分でしちゃって、「もういいや」と開き直っている。そうやってマジックという作られた枠組みを取っ払っちゃった人のなかに、まったく違うエネルギーが入ってきて、それで治っていくというふうに、私は感じるのです。

 

タネ明かしに気づいていくための手段というのはいろいろあるわけですが、私はそうした手段は何でもよく、ただ「枠の外へ出る」という意識が大事だと思っています。

 

この社会の政治、宗教、マネー、こうしたものすべてがマジックであると気づいた人が、自由になるわけです。自由になるというのは、いままで閉じていた窓を開いて、新しい空気が入ってきてまったく違う空間になっていく、そんな状態をイメージすればいいかもしれません。

 

その空間が身体であれば、まったく違う身体になっていくわけで、マジックだと分からなかった時にかかっていた病気も、「あぁ、そうなんだ」というふうに分かれば、どういう形にせよ消えてしまうことになる。ちょっと不思議に思われるかもしれませんが、そうしたことも起こりうるのです。

 

そもそも、医学もマジック、その大元にある科学もマジックですから、まず決め事があって、その範囲だけで「やっていきましょう」ということになっていますから、そんな枠があってはすべては説明できないですよね。身体に起きた変化を説明しようとしたって無理だし、それを治そうとしたってちょっと不自然だし、無理があります。

 

そういったものから解放されていけば、科学では説明できない、医学では説明できない、この世の中の仕組みで言えば法律では説明できないような、“結果としてそういうことが起きる”という現実がしっかり捉えられるようになっていきます。

 

ですから、世の中がすべてマジックだというふうに分かるか分からないかで、人生は大きく違ってきます。マジックだと分かって、そのマジックの世界をどう生きていくかという、これも私は楽しいんじゃないかと思います。私自身はそういう感覚で、承知の上で、この世界を生きていくという、そこに自分自身は生きる意味を見出しているのです。

 

皆さんも病気になって、診断されて、治療という世界に入っていくわけですが、「これはひょっとしたらマジックじゃないか?」と、「このタネ明かしができたら完全に治っちゃうんじゃないか」と、「この先生の言うことだけ聞いていたらマジックの世界で終わってしまう。そういうわけにはいかない!」といったふうに少しでも考えることができたら、経過も変わっていくと思います。

 

病気が治ることも大事ですが、そうなると、それ以上に大事なことがつかめるのではないかと思います。皆さんには、そういうふうに考え、生きていける人になってもらいたいと思っているのです。

 

 

理屈を超えて

 

われわれの医学の基礎は、解剖学、病理学、生理学、生化学といったものを基礎として成り立っています。解剖学や病理学は形態学です。

 

つまり、起きた変化や事実を形態学的に評価するのが病理学であり、解剖学です。生理学とか生化学は理屈の世界で、こうだからこう、こうなっているからこうという世界です。理屈と事実で西洋医学は成り立ち、それに支配されている世界なのです。

 

それを学生の時に学び覚え、そういう内容を試験されて、そこを通って医者になります。実際の現場も、理屈と事実を併用して病気を診断し、それを治療に結び付けていくという世界です。

 

しかし、臨床の現場では理屈どおりいくことはあまりないのです。事実にとらわれすぎると、次に起きる変化を予想しにくいということがあります。その世界を抜け出さないと、なかなか病気の本当の姿は見えてきません。

 

理屈の世界で考えていると、理屈以上のことは起きません。しかし、この世の中には理屈と事実だけでは説明できないようなことがいっぱいあります。病気もそうですね。

治ったり治らなかったり……同じ病態で同じ治療をしても、うまくいくい場合といかない場合がありますが、これはなかなか説明ができないのです。

 

ですから、あまり事実や理屈にこだわっていると全体像が見えませんし、治療に関しても的外れなことをやってしまうことがありえます。だとしたら、一度事実と理屈を脇において、ちょっと信じられないようなことも考えてみてもいいのではないでしょうか?

 

医学的には説明できないということですべて片付けてしまい、だから認めないと済ませてしまう。放射線の除染についてもそうですね。現代物理学では考えられないから、そういうことはあり得ないのだという話とよく似ています。

 

理屈と事実を組み合わせた科学なり、物理学にとらわれているのです。それで現実に起きている変化がなかなか理解できないし、それに対応できないことになってしまっています。

医療においても、理屈や事実は大切ですし、結果を大事にするのもいいのですが、患者さんが治らないとどうにもなりません。

 

それが自分たちの理屈に合っているとか、この事実はこういうふうに説明できるとかいうことを大事にし、実際その患者さんがどういうふうになっていくかということより、自分たちのルールに従って診療しているというのが現実の姿ですね。

 

それでも病気が治っているのならいいのですが、なかなかうまくいっていません。管理と修繕という形で終わっているわけです。

 

しかし、一度医学的なことから離れて患者さんの全体を診るというつもりでいろいろ患者さんに聴いてみると、話の中から糸口がつかめることもあります。

私の経験では、むしろ進行したガンの患者さんについては理屈と事実ではなく、患者さんの言葉の中から治癒に関するヒントが得られてきたという経験があるのです。

 

理屈を超えたところで病気を観てみますと、病気というものがどうして起きてくるのか、治らないのはどうしてかということが見えてくることがあるのです。

医者は医学から離れるのは怖くてなかなかできないと思うのですが、理屈ばかり言っていても結果が良くなければどうしようもないのです。

 

そろそろ西洋医学は脇にいったん置いて、理屈を超えた視点から病気を観てみると、意外と簡単な解決方法が見つかるということもあると思います。患者さんに対する言葉のかけ方も変わってきます。

 

ふとそこで何か患者さんが気づいて自分の生き方を変えるとか考え方を変えるとか言うことにつながっていくんですね。ここでもまた理屈を超えた経過、現象が起きるというふうに私は思います。実際、ガンが治った方を見ていきますと、理屈を超えた治り方をしています。治そうとしていない人が治っていくという不思議なルールといいましょうか。

 

理屈を超えた世界に入っていきますと、不思議な経過、いや、これは本当は不思議でもなんでもないと思いますが、理屈の中で考えていると理屈の世界で起きることしか起きないのです。

理屈を超えてしまうと、奇跡とは申しませんが理屈では説明できない変化が起きてくると思います。

 

医者の言うことを聞いていると理屈と事実の世界であって、事実というのは患者さんの体に起きた結果ですよね、この事実と理屈の世界の説明で納得していると、なかなかそれを超えた結果は得られないでしょう。

 

5年生存率30%とか言われていますが、そんな数字に収まってしまうということしか起きません。

病気を治そうというのは理屈の世界です。ですから医者はこういう話はしないと思いますが、患者さんは一度理屈を超えた世界から自分の病気のことを考えてみてください。

 

医学的だけではない、いろんな角度から見て、それで自分の今までのことを考えてみて、医者に言われたからではなく自分の意思で前向きにここを変えてみようと気づいていく。

 

これは、病気を治そうとしているのではなくて今までの生き方を変えるということですから、こうなると理屈の世界ではありません。そうなると不思議な経過が起きる扉が開くという可能性が出てくると思います。